大学2年の時、53万7000円のUSB投資詐欺に遭った話。(バイナリーオプション)その②

今回は前回の記事「大学2年の時、53万7000円のUSB投資詐欺に遭った話。(バイナリーオプション)その①」の続きを書いていきたいと思います。

 

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バイナリーオプションをするにあたって必要となるUSBを購入するための契約日となった日、大学での講義を終えて、紹介者である高校時代の野球部の同期と共にUSB購入に必要となるお金を借りるために学生ローンに向かいました。

 

学生ローンが多くある某駅に向かい、到着するとお金を借りるための作戦会議をするからとカフェへ行きました。

 

 

お金を借りるためには、正直に投資にお金が必要であるため借りたいといっても貸してくれないので、留学に行くためにお金が必要だから借りるといった体にして借りるようにと指示されました。今考えたらちゃんちゃらおかしな話ですが、その時は自分が経験したことのない投資に足を踏み入れるといった事でわくわく感もあって、嘘をついてまでお金を借りなくてはいけない投資など危険に決まってるし、怪しいのに特に何も考えずにお金を借りに行こうとしていました。

 

学生ローンでお金を借りる際に留学の話をしなくてはならないので、自分の通う大学の連携先や、何か月間留学するのかなどを決めて、どんなところに突っ込まれても答えられるように抜け目のないようにあれこれと調べ、話を作り上げて同期と実際にあれこれと訊かれた時の練習をして学生ローンへ向かいました。

 

実際に学生ローンへ向かうときは、今までの人生でもこれからの人生でも経験しないことであるし、とても緊張していました。実際に学生ローンの中に入ってみると、想像してたよりも柔らかい雰囲気で、とても丁寧に対応してくれました。何のためにお金が借りたいだとか、もしお金が借りられなかったらどうするだとか、準備していた通りの答えを丁寧にして、限度額である25万円を借りられることになりました。

 

 

そこで借りた後同期と合流し、25万円では少し足りないため次の学生ローンへ向かおうとしましたが、その日は日曜日でほとんどの学生ローンが休みであったこともあり、某消費者金融へ向かうことになりました。その消費者金融に向かうに際しても、先ほどの留学の話のように嘘の話を作り上げてから行くことになりました。消費者金融には車を買うためにお金が借りたいといった事にすることになりました。

 

 

部活で荷物を運ぶために車が必要であるといった事を軸に、訊かれそうなことを予想して準備をして、いざ消費者金融へと向かいました。

 

消費者金融は機械越しでオペレーターと話をしてお金を借りる感じであったので、学生ローンの時よりもあっさりと審査が通りお金を借りることができました。

 

 

そしてUSBを購入するためのお金をそろえ、いざUSBを購入する契約をするため、指定されたカフェに同期と共に向かいました。カフェでお金をそろえて待っていると、奇抜なファッションをした自分と同じくらいの年齢をした男性が現れ契約を結ぶことになりました。その人は話によると今から契約をするUSB商材を用いたバイナリーオプションで成功していて、六本木のタワマンに住んでいるとか言っていました。今考えればマルチ商法界の上の方にいて、マルチ商法によって得たお金をむしり取っているだけで、大したことのないただの詐欺師だったのだと思います。

 

 

契約にあたっての確認事項をチェックしながら、ハンコを押し、同席していた同期のサインも書き、USBを購入しました。

 

その日はその後にバイトが入っていたため購入した後はバイトに向かうため帰宅しました。

 

そのUSBの使い方などを説明を受けたり、その他周辺知識をつけたりするために活動拠点である東京某所へ向かう日々がその後始まりました。

 

その話は次の記事で書きたいと思います。

 

 

大学2年の時、53万7000円のUSB投資詐欺に遭った話。(バイナリーオプション)その①

タイトルにある通り、私は大学2年の時USB投資詐欺に遭いました。大学生にとっては被害額が額なのでだまされる方が悪いだろと思われる方がいるかもしれませんが、私自身も全くその通りだと思います。しかし当時の私はまんまと騙されてしまいました。

どのようにしてこのような被害に遭ったのかを以下に述べていきたいと思います。

 

 

この詐欺に遭う前から私は投資に多少興味がありました。FXのアプリでデモ口座で体験したりもしていました。

 

そんな大学二年のある日、高校の野球部の同期から久しぶりに連絡が来て、ご飯でも食べに行かないかといった事でした。それがすべての始まりでした。

 

約束した当日は渋谷で昼飯を食べる予定だったのでハチ公前で集合しラーメンでも食べるか、となってラーメン屋に行きました。

その店でその同期から「投資に興味がないか」と聞かれました。先にも述べたように多少興味があったのであると答えました。

そうすると同期は「俺最近投資始めて、先月20万儲かったんだよね」と言っていて、「俺は単にある人から教えられた方法に従ってやってるだけなんだよね」「お前にも教えてやりたいけど、俺が考えた方法じゃないから俺からは教えられない」「俺が教えてもらっている人はすごい忙しい投資家で、なかなか予定合わないんだけど俺気に入られているからどうにか頼み込めば会ってくれるかも」「どっかで二日連続で空いてる日ない?」と言われ、正直怪しいなとは思いましたが、その同期は野球部時代は毎日黙々と練習に励み、浪人期も一緒に過ごした仲なのでとても信頼していたし、話を聞くだけなら無料だしいいかと思い、空いてる日を伝えました。

 

その日はラーメン屋を出た後その同期は用事ができたからと渋谷の街に消えていきました。久しぶりに会ったのにラーメン食べるだけとかあるか?と思いながらも家に帰りました。

後から分かったのは同期は私に投資を紹介するためだけに会っていたので、その目的を果たした同期は帰っていったのでした。

 

それから数日後同期から電話が来て、「この前の予定で会ってくれることになったから、その日はあけておいてね」「ほんとにすごい人だから楽しみにしておいてね」「服装はスーツで来て」と言われました。これもあとから分かったことですが、初めからその投資家と呼ばれる人に会えることは決まっていて、その人の価値上げのためにこのように電話をしてきたのでした。

 

そしてその人と会う当日、大学での授業を受けた後集合場所へと向かいました。集合場所へ着くと、投資家と言われている人に会う前に近くのマックで、同期から投資の種類、基本的な方法、同期が投資を始めた理由などをプレゼンされました。そしてその後投資家と呼ばれる人のもとへと会いに行きました。

 

コーヒーが一杯1200円もするカフェでその人が来るのを待っていると、投資家と呼ばれし人が現れました。見た目は20代後半くらいでチャラ目な感じでした。その人は持ってきた資料を用いて口早にその投資の説明を始めました。

その時に投資の種類はバイナリーオプションであり、投資を始めるにあたっては投資するタイミングが表示されるUSB教材を購入する必要がある事。また、その教材を用いると年利200%が可能になる事。銘柄ごとの勝率などが示されたパフォーマンス表といったものを見せられたりしました。

 

その説明の中で最も印象的だったのは、そのUSBを購入するのには53万7000円かかる事。そして私がそのUSBを購入した場合その中の5万円が紹介者の同期に流れるといった事でした。

今思えばこれは典型的なマルチ商法で、私は同期に入る5万円のために利用されたんだと考えられますが、当時は紹介者が高校時代からの信頼していた人だった事や、説明の中でこれは法律的にもマルチ商法ねずみ講ではないといった説明があったこともあり、さらにもともと投資には興味があった私の気持ちは揺れ動いてしましました。

 

その投資家と呼ばれる人からの話が終わった後、普段から同期がお世話になっている先輩がすぐ近くにいるので三人でご飯を食べに行くことになりました。

これもあとから分かったことですが、こうして先輩とご飯にいくことも偶然などではなく、私が投資に気が向くようにするために初めから決まっていたことでした。

 

その三人でご飯を食べている時に、その先輩や同期が投資を始めたことによって変われたことなどを話したりしていました。「君も勇気をだして一歩踏み出してみたらいいよ」と言われたり、「もし投資を始めて成果が出なかったら俺たちがUSBの購入金額を肩代わりしてやるから、まあいうこと聞いて普通にやってたらそんなことないと思うけどね」などと言われて、その当時、その当時の生活を何か変えたかった私はそのUSBを購入することを決意してしまいました。

 

しかしUSBを購入するためには先ほどにも述べた53万7000円を準備しなくてはいけません。当時貯金は20万円くらいしかなかったので、どう考えても足りませんでした。それを同期とその先輩に言うと、俺たちは学生ローンと消費者金融でお金を借りて始めたといっていました。

借りる方法を教えるから明日も来れるかと聞かれ、投資家に会わせてもらう約束をした時に二日連続で空いている日を指定していたので、空いていると答えました。

 

これも後から分かったことですが、投資家に会わせてもらう日に二日分開けさせられたのは、USBを購入すると決心してから、色々調べたり、気が変わる前にすぐに購入させるためだということでした。

 

またその日は同期が自分の家に泊まりに来たいといって、泊まりに来ました。これも自分の気が変わらないように来たのだと思います。

 

そして次の日、学生ローンや消費者金融でお金を借りるにあたって必要となるものを教えられて、それをもち消費者金融へと同期と共に向かいました。

 

 

書いているうちに当時の自分にイライラしてきたので続きは後日書きたいと思います。

院試の準備をするにあたって

自身の院試を終えて結果としては合格したので良かったですが、こうした方がよかったなと思う事もあったので、参考になるか分からないですが記していこうと思います。

 

 

・受けた院試について

私は自分の大学の大学院入試のみを受験しました。そのため、外部の大学院の受験を考えている方の参考にはならないかもしれません。

受験したのは、関東の国立大学の化学系の学科です。

 

 

・三年時までの勉強の程度について

私の三年時までの勉強の程度は、単位をとる前にテスト前にその場しのぎの勉強をし、単位を取得し、長期休みに入るとすっかり忘れてしまっているといった状態で、院試を受けるにあたってはどの教科でも最初から勉強をし直す必要がありました。

 

以上のような状況で院試の勉強を始めました。

 

院試の必勝法として、過去問収集が大事になります。私の大学では何年分かの過去問が図書館においてあり、自由に閲覧したり印刷できるようになっていました。なので自分で過去問を集めることが可能でしたが、研究室の先輩が電子ファイルで送ってくださったのでそれを利用しました。

また、コロナ禍で一時期入構禁止になっていたこともあり、郵送で往復の切手代を支払えば大学側が送ってくれるといった状況でした。

 

また先輩などから過去問をもらう際に、先輩が解いた過去問の解答が存在していると格段と勉強しやすくなるので、過去問をもらう際には解答がないかを聞いてみた方がいいと思います。

私の場合は、先輩から頂いた電子ファイルに何年分かの解答があったのでとても助かりました。

 

 

大学入試の際も過去問をみてその大学の傾向をつかむのは重要だったと思いますが、大学院入試ではそれがさらに重要となります。というのも、大学院入試の科目を過去問を見ずに勉強すると、それぞれの科目の範囲が膨大であり、4年生から始めるようでは全範囲を勉強し尽すことが不可能に近いからです。私のように大学に入学してからコツコツと勉強をしてきた人は話が別だと思いますが。

 

なので私のように4年生の四月にようやく院試の勉強を始めるような人は、一度院試の過去問をパラパラ見て、それぞれの科目の傾向をつかみ勉強する範囲を定める必要があります。そのようにしてから勉強をすると効率よく勉強できると思います。

 

しかしそこには一つ問題があって、私の場合もそうであったのですが、過去問の傾向が自分の受ける年の直近で変わっている科目がありました。院試の問題は教授のなかの誰かがつくっているので、自分が受けた学部時代のテストを見返して、その問題を誰が作成したのかを特定できると、教授が退官したと同時に作問者が変わったんだななどと考えることができます。

 

院試の作問者が分かると、その教授が学部時代のテストで出していたような問題が出る可能性が高いので、その教授がもっていた授業のテスト問題を見返したりするのも大変効果があると思います。自分が受けていなかった授業であっても受けていた友達などからテスト問題をもらった方がいいと思います。

 

以上のようにして勉強していけば4年生の四月から院試の勉強を始めたとしても、十分対応できると思います。

 

私は受験科目の過去問を10年分何周もしましたが、教科によっては傾向がずっと変わらない科目もあれば、直近で傾向が変化している教科もありました。作問者の違う過去問を完璧にしても、本番では全く無意味であったと感じたので、直近の過去問を見て傾向が変わっているようであれば、それより昔の過去問は余裕があったらといった程度でいいと思います。

 

院試は6割取れれば受かるといわれているので、本番では自分のできるところを正確に解ききることが重要となります。本番では焦らず問題に向き合うことが重要です。私が本番で初見の問題をみて焦ってしまったため。

 

院試は受かって当然と思われがちで、ハードルはそこまで高くないですが、基準点に達しない場合は容赦なく落ちますので気を抜かず勉強を頑張ってほしいと思います。

 

 

院試落ちた 、、、と

高校の同期が、院試に落ちてしまって就活を始めたという話を聞いて、自分が落ちた場合の事も考え、びくびくしながら院試の発表の日を迎えました。

 

よくネットには、前もって教授は結果を知っているはずなので、教授の顔色をうかがっていたり、自分への対応の仕方で合否が分かるなどと書いてありますが、このコロナ禍で院試が終わるまで研究室に行くこともなかったので、教授の普段の顔も把握していないため、教授の顔色をうかがっていても何もわかりませんでした。(笑)

 

合格発表の日は研究室に行かなくてはいけない日だったので、合格発表の時間まで研究室で作業をしながら待っていました。院試を受けた同期が自分以外に二人が研究室に来ていたので、もし自分が落ちていた場合や、はたまた誰かが仮に落ちていた場合どのように反応したらいいのか考えていました。

 

学部入試の時に合格発表時間が予定よりも早く行われたので、院試の合格発表も予定より早く行われるのではないかと思って、大学の合格発表のページに何度もアクセスし、更新されているのか何度も確認しました。ほかの二人も同じように何度も確認していました。そうこうしているうちに一人が合格発表が予定時刻よりもはやくなされていることを発見し、三人でそのページを見ようとしました。

 

しかしみんな自信がなかったこともあり、やっぱり自分の画面で見ようという事になり、それぞれのパソコンで自分の合否を確認しました。確認している時はずっとふわふわした気持ちでした。

 

大学院入試はコースがたくさんあり、自分の番号が表示されている場所をさがすのに手こずっていると、同期が「あった」と言い、同期は受かったことが分かりました。そして自分も自分の受験したコースを発見し、そこに自分の番号があることを確認しました。

 

番号を見つけた瞬間、肩の荷が下りたように感じとてもほっとしました。

そしてすぐにいつもお世話になっている両親に無事合格した旨を伝えました。両親に合格を伝えられて本当によかったです。

 

高校入試は3倍、大学入試は2.7倍をくぐり抜け、大学院入試はそれよりも倍率は低いはずなのに受験の中で一番緊張したのは大学院入試で、大学院入試ほど落ちれない入試はないと思います。

 

大学院入試は受かるのが当たり前だと思われがちですが、基準点に達していなければ普通に落ちる入試で、実際に落ちてしまった先輩の話なども聞いていたため、受かってほんとによかったと思いました。

 

その場にいた同期三人が受かったことを確認し、教授に三人で報告に行くことにしました。報告しに行くと教授は良かったですねとおっしゃっていましたが、本当はもとから知っていた風でした。

 

その後一人ずつ軽く教授と面談しました。内容は院試の出来は自分的にどれくらいだったかについてきかれました。自分は出来が良くなかった旨を教授に伝えると、君は勝負強かったよと言われました。遠回しに、君はギリギリの点数だったよと伝えられたんだと思います。

 

ギリギリでも合格は合格なのでよかったですが、これからは自分の能力は高くないといった事を肝に銘じて、誰よりも努力し、研究室の足を引っ張らないように頑張ろうと思いました。

 

ほんとに受かってて良かった~

 

院試落ちた

自分の大学の大学院入試の合格発表前日に、高校時代の同期から「俺、院試落ちた」と連絡がきました。
彼は某旧帝国大学に通っていて、某駅弁大学に通う私とは状況が違うものの、そんな身近な人が院試に落ちたとなると、自分自身もとても不安になりました。

 

自分が院試を受けた後の手ごたえ的に、合格と不合格どちらでもおかしくない感じで、受験を終えた直後は家でふて寝するほどでした。(笑)

 

院試に落ちることが不安で、院試を受けた後は「院試落ちた」でTwitterエゴサしたり、「院試落ちたら 手段」などで、ネットで検索したり、実際に院試に落ちた人のブログを読んだりしていました。院試を受けて、発表まで不安があった方の中で共感してくださる方もいると思います。(笑)

 

そんな時に、実際に院試を落ちた人のブログを読んだことがこうして自分がブログをはじめたきっかけの一つになったかもしれません。

 

その方のブログを見ると、その方は休学してから次の年に就活をし、休学している間はインターンに行ったり、TOEICの勉強をして、就活の準備をするという選択をとっていました。

その方はとても優秀な大学に行かれていたこともあってか、就活では一般的には優れた就職先に内定をしていらっしゃったと書いてあり、その方のようにはいかないかもしれないけれど、そういった道もあるのかなといった考えになりました。

 

その他にも、自分が院試に落ちた場合にはどのような選択肢があるのか色々調べてみました。

1, 休学して、次の年に就職をする

2, 落ちた時から就活を始め、まだ募集の残っている企業に就職する

3, 休学をして、次の年にもう一度院試を受ける

4, 休学せず、今年は卒業し、教授に頼み研究生として残してもらい院試を受ける

5, 休学せず、今年は卒業し、既卒として次の年に就活する

他にも存在すると思いますが、自分が調べた中ではこのような選択肢が見つかりました。

 

自分自身、院進学しようと思ったのも、正直なところ研究がかなりしたいと思ったからではなく、みんな行くから何となくといった感じでした。
また、今回の院試を受けるにあたっては自分なりに全力を尽くして勉強して挑んだつもりであったので、今回仮に落ちたとしたら、来年受かる保証もないので諦めようと思っていました。
なので院試に落ちた場合には2,3のようなもう一度院試を受けるといった選択はとらず、潔く就活しようと思っていました。

 

また、一度卒業をしてから就活となると、既卒として就活を行わなければならなくなり少し不利になるように感じたので、5の選択肢も自分の中にはないなと思いました。

 

結果として、落ちた場合は1か2の選択をとろうと思いました。どちらの選択をとるかは自分だけの意見ではなく、もちろん両親と話し合い決めるべきだと思いますが。

 

 

このようにして色々と考えていくうちに、三年生までで自分があんまり研究に興味がないと感じていたならば、三年の終わりからしっかりと就活をするべきであったなと思い、自分はここまでの大学三年半でちゃんと自分自身の今後について考えたことなかったなと、とても後悔しました。
と同時に院試に受かったとしても、このようなモチベーションで大学院に進学しても、学資を工面してくれている親に申し訳ないなと思ったので、大学院に進むとしたら、自分なりに精一杯努力するべきだなと思いました。

 

 

このように今になって様々なことを考え、後悔している中で次の日の合格発表を迎えることとなりました。

 

 

院試の合格発表を前にして

私は先日、自分の通う大学の大学院入試を受けてきました。

 

このコロナ禍で、試験方法が例年とは変わる点が多くあり、対策が難しい入試でした。

 

英語の試験に関して、例年はTOEICのスコアを採用していましたが、今年はTOEICが実施されなかったこともあり、今年は入試内で英語の能力を問うといった事になっていました。

しかし、その試験の前例がなく、どのように対策をしたらいいのか教授にきいたりして、その時に頂いた資料を活用して勉強はしましたが、結果的にほぼぶっつけ本番で試験に挑むといった形になってしまいました。

一緒に受けた友人はpassionでどうにかなるでしょと言っていました(笑)

 

結果的にお互いpassionではどうにもならなかったのですが、、

 

 

筆記の試験についても今年から範囲が変更になり、それに関しても不安が大きかったです。

3年生までは、単位をとる事だけを目標にしてテスト前だけちょっと勉強を頑張って単位を取得し、テストが終わって一週間もすればその時に学習した知識は抜け落ちてしまっている。

そんな感じで過ごしてきた私には、大学院入試の勉強は大学で学んだ膨大な内容を一から理解しなおさなければならないといった状況でした。

 

運がよかったというと語弊があるのですが、このコロナ禍で大学に入れない期間があったり、緊急事態宣言が解除された後も研究室に入れる人数制限があったりとする中で、私の所属する研究室では4年生は院試まで試験勉強に専念するようにとなったため、例年に比べて勉強する時間が多く確保できたと思います。

そんな状況下だったので、日用物資を買いに行ったりバイトに行ったりする以外は自宅に引きこもり机に向かうように努力しました。

 

しかし大学生活の3年間で身についてしまっただらだらしてしまう癖はなかなか抜けず、最初のうちは勉強する癖を身に付けるまでにかなり時間を要しました。

大学入試時に用いていた勉強時間を記録しておくアプリをインストールし、勉強時間を記録しながら勉強していきました。大学受験時の勉強時間を見てみたら、一日に平均して11時間くらいは勉強していて過去の自分を尊敬しました。(笑)

 

そんなこんなで過去問10年分を4周はして、範囲に関する問題集を何度も解きなおし、筆記に関しては自分の中では万全な状態でテストに臨んだつもりでしたが、、

試験当日問題用紙を開いてみると、、??????
過去問の感じと全然違う。ページをめくる手が震えているのが分かりました(笑)

 

そこで、初見の問題は過去問の感じと違うように見えて当然だし、今までの数々の入試の中で過去問通りだなと思った事ないなと冷静になって考え直していったん落ち着き、できる問題から解き始めました。

 

試験時間はあっという間に過ぎて、空欄が目立つ科目もみられる解答用紙が回収され、筆記試験が終了しました。

 

手ごたえ的には5割はある感じで、あわよくば6割といったところ。周りの人たちの出来はどれくらいなのかとても気になりました。一緒に昼食をとった友人は割とできた様子をしていたので、私の出来は良くない方だなと察しました。

 

その後の口述試験の出来もあまりよくなく、絶望した気持ちで自宅に帰りその日はふて寝しました。

 

目が覚めて少し冷静になって考えたことは、こんなに時間を使って勉強してきたのに落ちたとしたら自分はこの道に向いていないことが明白なので、仮に落ちたとしたら院進学はあきらめて就職をしようといった事でした。

 

でもまだ落ちたといった事が確定したわけではないし、もう終わってしまった事はどうしようもないので、考えすぎず気長に発表を待とうといった姿勢になりました。

 

合格発表はもうすぐですが、早く知りたい気持ちと、まだ知りたくないといったジレンマの中、発表を待ちたいと思います。

 

あー怖い(笑)

 

 

私がブログをはじめた理由

私は現在、理系大学生をしています。

以前からなんとなくブログをはじめてみたいなとは思っていたけれど、なかなか行動に移せず、気が付いたら大学4年生になってしまいました。(笑)

 

そもそもブログをはじめようと思った理由としては、

1, 自分の体験や経験をみんなに知ってほしい

2, 自分のした失敗をみんなに繰り返してほしくない

3, ブログを書くことによって、自身の成長につなげたい  etc....

挙げるともっとたくさんあるのですが、大きくはこの3つがはじめようと思ったきっかけです。

 

自分の経験や体験したことをみんなに公開して、共感してもらいたい、またその体験や経験で自分が失敗したことを知ってもらい、同じ失敗をブログを読んでいる方にはしてほしくない、そして言葉に書きおこすことによって、自分自身の成長につなげたい、そんな思いで始めようと思いました。

 

その他の理由について以下につらつらと書いていこうと思います。

 

今ブログをはじめた理由としては、大学に入学してからここまで、バイト、サークル、学業を当たり障りなくで来てしまって、大学生活はこんなのでいいのかと考えた時に、何か新しいことを始めたいと思い、以前から少し興味のあったブログをはじめてみようかなと思った事も理由のひとつです。

 

また、このコロナ禍で大学に行くことも減り時間がある中で、残りの大学生活の時間を有意義に使うべきだと思い、だらだら過ごしているよりはブログの記事を書いている方がいいかなと思ったのもはじめた理由です。

 

私はyoutubeで動画を見るのが趣味なのですが、大学生youtuberを観ることが多く、自分の経験や体験したことを通して、考えたこと感じたことをしっかりと自分の言葉で述べている動画をみて、自分も何らかの形で自分の経験や体験を通して思った事を社会に発信したいと思いました。しかしyoutubeで動画をあげるのは敷居が高いと感じたので、気軽にはじめられるかなと思い、ブログといった形で発信してみようと考えました。

 

でもこうして文字を書いていくと、自分の文章力のなさを痛感し、頭の中にあるふわっとした考えを言葉におこすのはとても難しいと感じ、自分の能力のなさに絶望しています。(笑)

でも、時間がある時はなるべく記事を書くようにして、自分の考えを相手が理解しやすいような文章が書けるようになっていきたいと思います。

 

継続していけば成長できると信じ、頑張っていきたいと思います。